紋章は、「戦場で個人を認識するため」に作られました。
中世の戦争方法は、本当に今では信じられないほど「形式」的なところがありました。 たとえば戦うのに「名乗り」を上げて、一対一で騎乗で戦いました。 そんな「形式」から生まれた「個人識別方」として、紋章が生まれました。
紋章は「楯」に描かれます。また紋章には、「厳しすぎる」程のルールがあり、体系的に確立された学問です。先ほど書いた「厳しすぎる」ルールの中でも、もっとも重要な決まりがあります。それは「同じ紋章を作ってはならない」。これは、「紋章は個人識別方」という理念から、離れてしまうからです。この「識別方」を崩さないために、中世ヨーロッパの国々には、「紋章院」なるお役所が、管理、統括していました。現在残っているのは、「イギリス」のみとなってしまいましたが、イギリス以外の国にもあったことは間違いないと思います。それでは現在ある、イギリスの「紋章院」はどんな仕事をしているのでしょう。「紋章院」は紋章の管理は勿論、英国の公式行事の進行、国会の召集と王の議場への誘導、王室の結婚式、葬式などの「式部」を司っています。
紋章院のことはこのぐらいにしておいて、また「紋章」について書いていきましょう。前に書いたように「戦場で使われる」紋章ですが、とうぜん戦場に行かない女性(家系継承者か貴族で既婚者)の紋章、聖職者の紋章もあります(楯型はこちら)。
では紋章は、いつ頃から使われていたものなのでしょうか。紋章の歴史は(英国では)約12世紀にまで溯ります。それ以前にも「紋章ではない紋」がありましたが、それはあくまでも「マーク/エンブレム(印)」であり、紋章では有りませんでした(理由は「紋章」という体系がむやむやだったので、紋章とはみとめられていないのが一般的な考え)。しかしながらその「マーク」が、紋章という物の「基礎」になったことは変わりありません。現在の英国の王家の紋章には、その時代から使われていた「赤地に金色のライオンが3頭」という紋が「クォータリング」されています。この遍歴を見ただけでも、「紋章」の権威・威力が絶大なことが判るはずです。また紋章は「個人」だけのものではなく、国や領地、職種(聖職者など)、州、市あるいは組織などの組合などの識別にも使われています。これも、もともとは「戦場でこの軍隊は誰が率いているのか」という事を、簡単に早く分かるためのものでしたが、戦争が無くなった「平和」な時代に入ると、「権威」付けまたは「支配権」の象徴として用いられてきました。
紋章を思い浮かべた時に、想像するのがたぶん「ライオン」や「ヘルメット」だと思います。紋章の美しいところはその「図形」が大きな要因です。しかしながら紋章は「同じ紋章を作ってはならない」という鉄則があり、それに答えるために、同じ「ライオン」でも何百種類と種類を増やしていきました。これこそが「紋章」を難しくしているのかもしれません。紋章はこの日本にもある事は皆さんもご存知でしょう。俗に「家紋」と呼れるものであって、沼田(沼田頼輔:歴史学者、民俗学者。著書「日本紋章学」)先生は「西洋紋章は『家紋』と同じ発想で作られている」、というようなことを書かれています。確かに同じような発想ですが、家紋は「家の紋」で合って個人は表しません。その点が紋章と違うところになります。
紋章と一言でいってもたくさんの[モノ]の集まりになっています。紋章の一番目立つのは[シールド]と呼ばれる、紋章図形が描かれている盾です。
しかし、紋章と言うのは盾以外にも、大変美しく構成されています。現在のアチーブメント(大紋章)が構成されるまで約200年ぐらいかかっています。それまでに紆余曲折があり現在の形になりました。大紋章のなかでも特に目を引くのが、サポーター、クレストとマントル、コンパートメントでしょうか。紋章が権威をあらわすために、次々と付け加えられて行った[モノ]にも目を向けて、じっくりと鑑賞してみてください。
それでは、なぜ紋章学と言う学問が、今日でも存在しているのでしょうか?
紋章学とは、読んで字のごとく[紋章を体系化した学問]の事です。上記に書いたように紋章の用途として、[家系図]的な要素もあります。紋章は[個人]をあらわすものですので、結婚・離婚・領土等を紋章と言うマークに置き換えて、加えていきました。たとえば有名なので言えば、イギリス国王の紋章はイングランドと、スコットランド、アイルランドの領土ををあらわす図形の複合体です(領土の掌握のしるしとしての紋章)。また紋章院総裁であるノーフォーク公の紋章は、ハワード家、ブラザートン、ウォーレン家、フィッツラン家、の4家の複合体となっています。
このように、紋章を見れば大まかに家系を知る事ができるため、歴史を研究するにあたって必要なこのを教えてくれるわけです。